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酔いどれ爺さん

Author:酔いどれ爺さん
神社仏閣や道の駅めぐりの記録

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玉前神社

2019/11/06 19:23:21 | 千葉の神社 | コメント:0件

永禄年間(1558年-1570年)の戦火により社殿および古記録等が焼失したため、創建年代は不明。他の文献等により、少なくとも鎮座以来1,200年以上経過していることは間違いないとされる。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』では、上総国埴生郡に「玉前神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、上総国一宮として崇敬を受けたとされる。 江戸時代、貞享4年(1687年)に現在の社殿が造営される。社伝では、玉依姫命...続きを読む
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国吉神社

2019/11/04 07:18:00 | 千葉の神社 | コメント:0件

國吉神社の鎮まる苅谷幸野の地は、今から約1500年前の安閑天皇の御代に伊甚国(後の夷隅)が春日部后の屯倉(御領地)が置かれ、勅使を迎える仮屋が設けられた地であり、後に信州より諏訪大臣を勧請し神社が創建され、明治時代には各地の神々がまつられ國吉神社と称した。御祭神は二十八柱の神々がまつられており、御神徳は家内安全、交通安全、厄除、八方除など多岐にわたる。  手水舎  天王社  三峰社  本殿   20...続きを読む

上総出雲大社

2019/11/03 20:16:00 | 千葉の神社 | コメント:0件

幕末の作田村に斧嶽(ふがく)と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵ずつさげて持ち、口に一俵をくわえて持ち歩いたと伝えられる程でありました。長州征伐の際、幕府軍の目付役となった村の領主は、強力無双の斧嶽を従者に選び島根県へと到着したが戦はすでに終わり、折しも出雲大社の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示した。あまりの強さに千家...続きを読む

高家神社

2017/03/04 13:44:00 | 千葉の神社 | コメント:0件

この高家神社の由来は「日本書紀」などに記録が残っており、今から約千八百年前にまで遡ります。第12代景行天皇が東国行幸の際に訪れた安房の国(現在の南房総近辺)で、侍臣であった「磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」が、弓の弦をとり海に入れたところ堅魚(かつお)を釣り上げ、砂浜では白蛤(しろはまぐり)を見つけました。磐鹿六雁命がそれらを膾(なます)にして天皇に献上したところ、天皇からその美味しさと技術を...続きを読む

八剱八幡神社

2017/02/27 13:37:00 | 千葉の神社 | コメント:0件

社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふ...続きを読む