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Author:酔いどれ爺さん
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この寺の創建年代等については不詳であるが、寺伝によれば平安時代初期に空海によって開かれたとも伝えられるが、一説によれば鎌倉時代初期の建仁年間(1201年 - 1204年)了海によって開かれたとも伝えられる。古くから大聖院とともに厳島神社との関係が深かった。本堂には神仏分離令によって厳島神社から遷された八臂弁才天像(秘仏で開帳は毎年6月17日)を配置し、阿弥陀如来像と護摩堂の元本尊だった如意輪観音像を脇侍とする。...続きを読む
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伝承では、大同元年(806年)に空海が宮島に渡り、弥山(みせん)の上で修行し開基したといい、鳥羽天皇勅命の祈願道場となったという。ただし、空海と宮島の結びつきは、史実としては確認できない宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院である。観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されて...続きを読む
寺伝によると、明王院の前身である「常福寺」は807年(大同2年)に空海(弘法大師)によって創建されたという。この由来の根拠は江戸時代に作成された棟札によるものであるが、ほぼ同時期に作成された棟札がもう1枚あり、こちらには大同年中に「初住持沙門」と呼ばれる僧侶によって創建されと記されている。当寺の本尊十一面観音像は平安時代前期にさかのぼる作品であり、寺の草創もその頃にさかのぼるものと推定される。鎌倉時代...続きを読む
寺伝によれば奈良時代の天平年間(729年 - 749年)行基が巡国中にこの地で加茂明神の霊夢を見たことにより建立されたという。『西國寺由来記』によれば、平安時代初期の治暦2年(1066年)火災により堂宇の大半を焼失したが、白河天皇の勅命により、当時の住職・慶鑁によって復興された。永保元年(1081年)には愛宕山の山麓から中腹にかけて巨大な伽藍が完成した。永保2年(1082年)白河天皇の祈願所となった。さらに天仁元年(110...続きを読む
推古天皇24年(616年)、聖徳太子が開いたとも伝えられる。この寺が文書等にあらわれるのは鎌倉時代中ごろからのことで、鎌倉時代の初めには堂塔を守る人さえないという惨状だったが、鎌倉時代後期に真言律宗系の僧で叡尊の弟子・定証によって中興された。その後1325年(正中2年)に焼失したが、尾道の有徳人道蓮・道性夫妻によって復興された。現存する国宝の本堂・多宝塔、重要文化財の阿弥陀堂はこの時再興された建物である。国...続きを読む
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